名倉重直(1668~1712)が千住に移り住み、その4代後、名倉弥次兵衛直賢(1750~1828)が、骨接ぎをはじめた。有名になったのは千住7代目の弥一のころからと言われている。その間に兄弟が分家独立をして薬研堀、荒川、大森の「名倉」などとなり増えていった。本院は代々整形外科の専門医院として今も続いている。こうして一族には、整形外科やその他の多くの医師を輩出している(『名倉重雄伝』名古屋大学医学部整形外科学教室同門会(名整会)1990(平成2年)11月刊行)。
名倉本家9代目を継いだ名倉重雄は、名古屋大学教授となって整形外科の創立に尽力した。その間、本院は重雄の弟順三が院長となり、患者下宿の医師や整骨師が診療に当たっていた。また、1933(昭和8)年には、お茶の水に64床の入院施設を持つ「千住名倉分院」を設立し、重雄の弟英二が院長となった。太平洋戦争後は、整形外科専門の名倉病院となった。2003年11月閉院し、新築して、「メモリアルクリニック名倉」として再スタートする。(千住10代目名倉静さんの話)