当時の隅田川は澄み、川砂はさらさらで、家から褌をしめ手拭いをもって泳ぎにいった。橋桁の所は渦を巻いているから餅を投げ入れて静めた。そこには大蛇が住んでいてそれは、水神様の化身と言われていた。
川は潮の満ち干きや増水の後などによく材木が流れてきた。四~五人の仲間で、その材木を筏に組んで葦原の辺を漕いで遊んだ。ある時に葦原にそって筏を進めていたら、知らないうちに本流に流されていたが、運良くポンポン蒸気の船頭に助けられた。また、葦原のなかに沼地があり、筏を組んで乗り遊んだ。幼い子が筏からころげ落ち、運良く近くの人に助けられたこともある。流れてきた材木で小屋を作って遊んだこともあった。ロビンソン・クルーソー気分になっていた。
水が退いた時、葦原でバッタを採って、バッタやに売った。傷ついたものは売れないから、ガーゼの網を作って採集した。小さい子に葦を揺らさせ、飛び立つバッタを捕らえた。このバッタは縁日で売られていた。
秋にはどの家にも柿やザクロなどの実がなった。自分の家になっているのに、わざわざ他の家のものを取ったこともある。十五夜はどの家でも、お月見の飾りものをした。子供たちは、数日前より生け垣の隙間をじよじょに広げ当日までにくぐり抜けられるようにし、万全の対策をしてその夜を迎える。どの家も濡れ縁や廊下にススキとだんごを供えた。親もこの日は子どもを外に出してくれた。ある家に忍び込んでだんごを掴んだときに、ぐちゃっとつぶれてしまった。奥で「やったー」と囃す声があった。
秋の楽しみは焼き芋だった。ヤッチャバの千住大橋手前で待ち受け、橋の登り坂で荷を押してあげ駄賃をもらう人々がいた。子どもたちもこの仕事に加わり、駄賃に芋をもらった。この芋を枯れ葉を集めて焼いた。