今は荒川の川底になっている川田耕地と元宿耕地は川田堀によって画されていた。その川田堀沿い、元宿側にこの浅間神社があった。
「安政七年庚申秋丸藤惣同行」の銘を持つ石柱があって歴史を物語っている。この神社は川田・元宿両村で持ち、四月の花見のころ小屋がけして、そこに掛軸をかけ、そのお賽銭で山を造成した。しかし、荒川放水路の開削により、浅間神社は移転することとなり、この富士塚も解体移転を余儀なくされ一九一六(大正五)年当境内に移築された。さらに、東京オリンピック開催を機に、都心の水不足緩和のため金町浄水場より千代田区本町に至る水道幹線工事促進に協力、当山の敷地の一部を割譲するとともに社殿改築のため一九六四(昭和三九)年九月一時取り壊した。そして六八(昭和四三)年六月、現在地に再度移築復元した。この経緯が、富士塚右方の移築記念碑に記されている。
大川町氷川神社にある富士塚(登録有形文化財)の講は「丸藤・千住十三夜同行」という。東京早稲田の丸藤・宮本講が講元で、その枝講である。富士講の中興の祖、食行身禄(じきぎょうみろく)の命日が十三日で法会を夜行うのでこの名がついた。
造立は一八二四(文政七)年、都内九番目に古い富士塚である。最盛期は一九三二(昭和七)年頃で、富士登山より帰る講員を、千住大橋北詰まで迎えに行った。牛車の四隅に笹竹を立てて、注連縄を巡らし紅白の祝い提灯を飾り、川田囃子の流れるなかを牛車がゆっくり動きだす。澄んだ大きな声で先達が掛け念仏の一節を詠ずると、続く世話人の合唱となり、旧日光街道を長い行列が流れて行った。
年間行事は次の通りである。
二月一日 初拝み 例祭役員会
六月一日 正五九の拝み 例祭役員会
六月三〇日 宵宮
七月一日 例祭
七月二日 午後六時より翌日拝み