元宿神社(足立区千住元町三三-四)

268 ~ 269

 祭神は、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)・誉田別命(ほんだわけのみこと)で、祭儀として、九月一五日に例大祭が行われる。社殿は、本殿(木造流造)・幣殿(木造)・拝殿(木造入母屋造)でその他、神楽殿(木造)・神楽殿(ブロック造)・手水舎 ・社務所などがある。境内神社は、猿田彦神社(猿田毘古命(さるたひこのみこと))、白鳥神社(日本武尊(やまとたけるのみこと))。境内地の面積は、九四五〇・八七m2である。

 甲斐武田氏に仕えていた鈴木印幡守貞宗の子左衛門信義が、武田氏滅亡後徳川氏に仕え、一五七三(天正元)年この元宿耕地の東南に八幡神社を、東北に稲荷神社を建立したことに始まるとされる。

 鈴木一族はその後、元宿耕地・川田耕地で農業を営んできた。しかし、一九一〇(明治四三)年荒川放水路の開削工事が決定され、この構築用地内に稲荷社があったため、これを八幡社(現元宿神社)に合祀した。荒川放水路に消えた稲荷社は、元宿耕地の鎮守で「おかしら」と呼ばれた信義の子孫、鈴木家の屋敷近くにあった。一九三一(昭和六)年町制が実施され、この辺りは元町となったが、元宿の名を残すため、合祀した元の八幡神社を元宿神社と改称して今日に至っている。

 元宿神社の鳥居をくぐると、左側に小さな石造りの祠がある。この中に安置されている御神体は、八幡大菩薩像で、座台から二〇cmの高さである。石質は甲府辺りの凝灰岩と言われている。この神社がかつて八幡神社であった頃の御神体であった。この神祠の右側に、千住町-伊兵衛、左兵衛、才三郎、茂兵衛、与五兵衛、右兵衛、八良兵衛、又左側には四丁目-五右衛門、惣右衛門、金三郎、茂兵衛の名が刻まれている。一族が元宿を去るにあたり、その有志が献納した祠である。八幡大菩薩像は、源信義が御神体を背負って信濃の戦場を駆けめぐり、必勝を祈願したものと言われている。


八幡様

 この神祠の隣には感旧碑がある。(感旧碑の項参照)


元宿神社