厄除け地蔵尊(大川町一七-四一)

270 ~ 270

 言い伝えによると、一九二一(大正一〇)年に創立した千寿第三小学校が、二四(大正一三)年に出火し、全焼した。その再建のため工事中、地中より堀り出されたのが地蔵だった。その後、敷地の東南角に祭ったところ、二九(昭和四)年の学校火災で周辺の民家への延焼が止まり、周辺への類焼が避けられたことから、火避けの地蔵として次第に信仰されるようになった。今も地域人々の手で、大切に守られている。

 しょうごくう(正五九、正月・五月・九月のこと)の祭りには神官を招いて祭りをする。

 二〇〇二(平成一四)年一月二四日は、初地蔵であった。例年のように、午前一一時より役員が集って祭事を行い、午後三時からは子ども達にお供物を配った。町内向け放送が流されると、母親に手を引かれた幼児達が三々五々集まり、地蔵前でお供物(ビニール袋に入った物)をもらう。幼児の列が終わる頃、一・二年生の子ども達が並び、その後千三小の学帽をかぶった下校途中の児童が並んでいた。地域の祭儀として、もらった後、「のんのんさんにお参りしようね」と手を合わせる祖母と幼児の姿があった。


厄除け地蔵尊


地蔵まつり