旧考録に載せられた一八四五(弘化二)年九月の状況を表した図によると、氷川・稲荷両社は熊谷土手往来の南側にあり、参道はいずれも東方向に平行に並び、北側奥に氷川社が、南側手前に稲荷社があった。氷川社参道付近には、阿弥陀堂・不動堂、宮守宅があり、稲荷社参道を杉と銀杏の木が挟み、北側に御輿堂があった。氷川社を取り囲むように疱瘡(ほうそう)神、白籏(しらはた)八幡宮、三峯(みつみね)山大権現、烏枢沙摩(うすさま)明王、雉子(ちご)神・白狐(びゃっこ)神があり、東の少し離れた位置に関屋天満宮、水天宮・弁財天・龍神宮があった。また、氷川社殿には午頭天王・年徳神・大国神と金比羅大権現・不動明王が、天満宮社殿には富士浅間大明神・夫婦和合神がそれぞれ祀られていた。氷川宮の西には、西新井大師・関原不動尊・六阿弥陀仏への道筋を示す自然石状態の根深石の道標があり、また境内西北端の荒川土手際には、弘化二年九月に千住一・二丁目が願主となり建立した氷川・稲荷両社への近道を示す角柱道標があった。
境内地の南側は氷川社除地となっていた田畑があり、西南には稲荷社の除地となっていた畑が、北側には稲荷免地がそれぞれ存在した。千住二丁目の第六天社、虎斑稲荷、永久稲荷・永野稲荷・佐藤稲荷という両社から離れた宿場内にある各社も末社であった。