社殿の手前右側の境内の一画に築造され、表は参道に面し、背面は民家に接している。一九二三(大正一二)年六月に築造されたが、同年九月の関東大震災で崩壊した。一九三六(昭和一一)年六月に旧位置から境内の奥の方へ移動し、再築され現在に至る。戦時中、爆風により石が歪み危険となり登山を禁止した。現在塚は金網で保護されている。塚には、富士山麓の溶岩や丸石を配置し、コンクリートで固めて築造され、山頂は急勾配である。高さ約五m、塔碑は比較的に多い。登山道は、北口・南口・御殿場口・須走口の四道からなる。頂上には、浅間神社を祀る祠が安置されている。講名は丸参千住同行で、千住を中心に広い地域にわたり、主として商工業者によって信仰行事が行われてきた。