明治を迎えると幕府直轄領であった柳原村は明治新政府の支配下に入る。その後、行政制度はめまぐるしく変化する。一八六八(明治元)年七月に武蔵知県事桑山効支配、一八六九(明治二)年一月に小菅県下葛飾郡柳原村となる。一八七一(明治四)年に大区小区制が施行されると東京府第六大区十一小区に入ったが、一八七四(明治七)年の編成替えに伴って第十一大区一小区となった。さらに、一八七八(明治一一)年郡制施行によって南葛飾郡柳原村となり、一八八九(明治二二)年市制町村制が施行されると砂原、上千葉、下千葉、小菅、小谷野、堀切の六か村と合併、南葛飾郡南綾瀬村の大字となった(一九二八<昭和三>年町制施行)。そして、一九三二(昭和七)年市郡併合により東京市葛飾区柳原町となったのである。