柳原町の足立区編入

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 荒川放水路の完成によって、柳原町は葛飾区に所属しながら足立区側に取り残される形となってしまった。一九三三(昭和八)年五月頃、住民の間から足立区編入問題が出てきた。同年七月には柳原町出身の区議会議員からこの問題が提案され、足立区編入を求める建議案が採択された。賛否両論が出されたが九月の議会で東京市長・東京府知事宛の意見書案が提出された。

      意見書

   境界変更ニ関スル件

  柳原町ヲ足立区ニ編入セラレン事ヲ望ム

      理由

柳原町ハ葛飾区ニ属スルモ荒川放水路ヲ隔テ足立区千住町ニ接続シ地理的ニハ勿論経済的ニモ亦社会交通等足立区ト密接ナル関係ニアリ警察行政ノ如キ葛飾区ニ属シナガラ千住警察署ノ管轄下ニアル状態ニシテ行政上如何ニ不合理ノ立場ニアルカ想像ニ難カラズ候区役所モ遠隔又ノ地ニアリ之レガ為メ住民ノ不便不利尠ナカラズ候次第何卒住民ノ立場御賢察ノ上速ニ足立区ニ編入セラレルコトヲ希望スル所以ナリ

右市制第四十六条ニヨリ意見書提出ニ及ビ侯也

  昭和八年九月四日

    東京市葛飾区会議長 鈴木八左衛門

 東京市長  牛塚虎太郎殿

 東京府知事 香坂昌康殿

     提出議員 葛飾区会議員 中田幸二

     賛成者  同      山田善吉

     同    同      続池四郎

     同    同      小高長太郎

この意見書によれば、柳原町は足立区千住町に接して地理的にはもちろん経済、交通の面でも足立区と密接な関係にあった。行政の面をみても葛飾区に所属しながら千住警察の管轄下におかれ、区役所からも遠いために住民の不便が少なくなかった。区の財源を手放すことになるという理由で反対意見も出されたが、結局意見書は採択された。これをうけて葛飾区では「区画変更調査員会」が設置され、調査が行われた。一九二九(昭和四)年、足立区と葛飾区の間で区界変更を行うことが合意され、五月二九日に東京府・東京市が告示し、六月一日に実施された。これによって荒川放水路南岸に残された葛飾区柳原町は足立区柳原町となった。


1937(昭和12)年


1969(昭和44)年の柳原(『足立区航空写真』)


町並みの古さを示すような残存物