柳原の都市化

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荒川放水路が建設されたものの、まだ農村風景を保っていた。放水路建設工事開始前後の地図を比較しても、工事に伴って移住によって人家が増加しているが、田畑が多く残されている様子をみてとれる。しかし、一九二三(大正一二)年に関東大震災が起きると、郊外への人口移動が促進された。昭和にはいると柳原でも市街地化が進展し、家や工場が立ち並ぶようになった。一九三四(昭和九)年の「足立区勢要覧」には「銀行会社工場 従業員多数ヲ有スルモノ」として四三企業の名前が掲載されているが、柳原では堀切製紙合資会社・岡安護謨株式会社の二社があげられている。