千住曙町と荒川区南千住を結んでいた渡し。汐入の渡しの渡船営業願は、千住と汐入に住む二名から出され、一八九〇(明治二三)年に営業が開始された。渡船場営業願によると、足立郡千住町大字千住三丁目字牛田耕地九八三番地(現千住曙町)と北豊島郡南千住町大字地方橋場七二〇番地(現荒川区南千住八丁目)を結んでいた。営業時間は午前五時から午後六時四〇分まで、運賃は大人子供とも一人四厘、人力車が一銭三厘、荷車が一銭であった。また、一九〇八(明治四一)年三月に出された渡しの営業継続願によると、隅田川東岸の渡し場は、従来の場所に加えて千住三丁目字牛田耕地一〇二〇(現墨田区墨田五丁目)にも設けられている。汐入の渡しの一年間の利用者数は七三〇〇人であった(『荒川区史』に掲載されている一九三二(昭和七)年の推計値)。一九六七(昭和四二)年ころまで、渡しの名残があったという。