隅田川沿岸の造船所

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 この地域は、貨車による鉄道輸送と船による舟運との接点であった。一九三五(昭和一〇)年一一月、中千住駅から分かれて隅田川沿いに設けられた千住ドックに向かう東武鉄道の貨物線が引かれた。群馬県方面からの物資輸送を目的として、越中島で水運に結ぶ計画であったが実現せず、千住駅はそれにかわるものであったと思われる。戦中などには東京から埼玉方面に肥やしが運搬されたこともあるという。また、舟運だけで見ても隅田川と綾瀬川が合流する要となる地域であった。

 舟運との関係が強い地域であることを示すように、かつては造船所が多くあった。隅田川の足立区側に二軒、荒川区側に五~六軒、内務省管轄の入り江(現在東京都下水道局の千住ポンプ所付近)に五~六軒あった。現在では、伊沢造船が唯一造船業を続けている。

 伊沢造船は一八七七(明治一〇)年三月に創立された。最初は墨田区側であったが、後に現在地に移転した。その理由は、鐘紡の工場拡張に伴うものであったという。かつては、木造船の建造を行っており、船に合わせて材木の購入・切り出しにでかけた。大型船の場合には木挽きを連れて行き、山中で製材し、雨を待って筏に組んで運び出したという。また、隅田川に出る船は旧綾瀬川で潮待ちをしていたが、先代社長の時にはそういった船を相手にした櫓や棹の製作、河川を航行する高瀬舟の建造もしたという。六〇(昭和三五)年には鋼造船建造を開始した。曳船・艀(はしけ)・土運作業船・観光船・漁船・ヨットなどの建造を行ったが、現在は修理を中心に行っている。


東武鉄道からの引込線跡


隅田川と旧綾瀬川の合流点 高速道路下のアーチが綾瀬橋、合流点左側が伊沢造船


隅田川縁で作られた木造船(模型)(大同造船(株)蔵)