日蓮宗の寺院で、久榮山清亮寺という。本山は、身延山久遠寺(山梨県)である。千住から旧水戸佐倉道に入ると間もなく、左側に槍かけの松をまとうように山門があった。今は常磐線のガードをくぐると、すぐ左手に幼稚園と山門があらわれる。水戸黄門が槍を立て掛けたということから名付けられた槍かけの松であったが、残念ながら枯れてしまい、古い写真で往時を偲ぶしかない。山門をくぐり本堂に向かうと左手に「日朝堂」とよばれる小堂がある。中に祀られているのは、現在の身延山久遠寺の堂塔を整え、身延山中興の祖といわれる日朝上人の石像である。区内には他にも日朝堂を持つ寺もあったが、現在はここだけである。
歴代住職墓地にある「開基運寮院日表上人、元和五年清亮寺建立」という墓標から、当山の開山年代は一六一九(元和五)年と伝えられる。これは、一八四二(天保一三)年に一九世日忠上人が建てたもので、この頃にはそうした文書が残っていたのであろう。歴代住職墓域には、中央に円柱に笠をおいた開基の墓塔がある。
正面 当寺開基 運寮院日表上人
右側 武州下足立郡渕江領弥五郎新田
元和五巳未年 清亮寺建立之
左側 天保十三年寅年 当寺十九世
五月 造立之 日忠
墓域の入り口に歴代住職歴の一覧を記した碑がある。そこには、二七代までの住職の入寺と示寂が記録されている。
足立区文化財調査報告書No.15(一九八一<昭和五六>年)によると、境内地が六一一坪、墓地が九七三坪となっている。一八九八(明治三一)年から翌年にかけて本堂の大修理を行った。一九三一(昭和六)年には本堂の修理、庫裏及び山門の再建が行われた。