倉稲魂神(うかのみたまのかみ)を祭神として祀っている。明治までは清亮寺の北東、東武線(旧軌道)の東隣に鎮座していたが、荒川放水路の河道が決定されると、その用地内となり川底に水没することになった。そのため、一九一一(明治四四)年に当時の弥五郎新田副戸長大塚孫左氏が、村民の総意によって西之宮稲荷神社(足立三丁目二八-一三)に合祀した。しかし、荒川放水路に隔てられ神社まで遠くなってしまったため、再分祀され、現在地に祀られている。
戦前までは西之宮稲荷神社の枝社として祭事が行われたが、戦後は一時廃れてしまった。一九五三(昭和二八)年に至り、総代新井竜祐氏などがはかり、氏子一同の寄付によって社殿の改修を行い、神輿の新調がされ、祭礼が行われた。これを機に西之宮稲荷神社から独立し、日ノ出神社と称するようになった。