柳原稲荷神社(柳原二丁目三八-一)

313 ~ 314

 柳原一、二丁目の鎮守で、両町内から総代が選ばれ運営などにあたっている。祭神として宇迦之御魂神(うかのみたまかみ)が祭られている。『風土記』柳原村の項には「稲荷社 村ノ鎮守ナリ。理性院持」と記されており、江戸時代には理性院の管理する神社であった。

 当社の由緒・創建年代については不詳であるが、一八二一(文政四)年に成立した『葛西誌』には「慶長四年の鎮守」と記されている。また、一九四一(昭和一六)年の神社明細には、一六〇六(慶長一一)年に創建されたが、一七八六(天明六)年洪水によって堂宇が流失、一七九四(寛政六)年に楊原寺別当祐覚が御神像を納めて再建した、という由緒が伝えられている。

 当社の社殿は、拝殿(入母屋造り、桟瓦葺き)、幣殿(切妻造り、トタン葺き)、覆殿(入母屋造り、桟瓦葺き)、本殿(流造り)から構成され、用材はすべて杉材である。かなり古いものと思われるが、神社の記録では建築年代不詳とある。近年、屋根瓦及び床下構造、外見張りなどの修繕を行い、一九九〇(平成二)年六月一一日工事完成報告祭が行われた。一五二〇m2の境内には、他に神楽殿、神輿庫、社務所、手水舎、神社参集殿(いずれも木造)が建てられている。

 境内には多くの石造物があるが、江戸期の紀年をもつものは拝殿前の二の鳥居と水鉢の二つである。鳥居は小松石神明造りで「寛政八年(一七九六年)辰年二月吉日氏子中」と刻まれている。水鉢には、正面に「奉納」左側に「文政十三年(一八三〇年)寅二月吉日 当村よね」右側に「当村茶屋」とある。この茶屋は、牛田の一軒茶屋のことである。茶屋の所在地は、千住三丁目牛田耕地であったが、柳原に本宅があったために、氏神の稲荷神社に手水鉢を奉納したそうである

 また、境内に第二次世界大戦の戦没者慰霊碑があり、仙台石に一五八名の氏名が刻まれている。この碑は、サンフランシスコ講和条約が発効した一九五二(昭和二七)年四月二八日に建立された。第二次世界大戦の戦没者慰霊碑は戦後占領軍などへの配慮から建立された例があまりなく、現在では貴重な戦争資料でもある。また、この碑の建立趣旨が裏面に書かれている。


柳原稲荷神社社殿

 参集殿は一階が駐車場になっており、かつて区役所の出張所があった。戦後は町会の事務所として使用されてきた場所である。現在は、神社行事の直会とか氏子の懇親などに使われている。

 祭礼は九月一五日だが、ここのお囃子は神輿の巡行に先立って歩けるように囃子専用の屋台が工夫されていておもしろい。神輿は胴の細いきらびやかなものであるが、年代作者等は不詳である。さらに、大きな獅子頭が一対あるが、今は祭礼の時に飾られるだけになっている。かつてはぶつかり合いながら舞ったと言われている。