祭神は宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)で、京都の伏見稲荷神社から分祀された。東武鉄道の踏み切りに寸断されたような場所に祀られている。以前は、千住東町一丁目の東武線の引込線が伸びるあたりに鎮座していたという。東武線の脱線事故の際に、社殿を壊してしまったため、一九五三(昭和二八)年に現在地に移転された。踏み切り際に立つ碑文は「昭和廿八年二月吉日東稲荷再建記念碑 東講中」とある。その下に小さく、
三丁目氷川神社
宮司 渡辺源一郎
講元 三島秀雄
副講元 松永保三
建設員 石井八郎
世話人代表野田岩松
総務 鈴木竹次郎
宮師 鈴木良吉
大工 南沢袈裟雄
庭師 今井次郎
石工 畫間福次郎
石材請負田中柳助
と一一人の名前が刻まれている。現在は千住曙町の一部になったが、千住東町のものであったことは、その名の「東稲荷」だけではなく、玉垣に記された名前の多くが東町としていることからも窺える。
祭礼は、二月の二の午の日に千住三丁目本氷川神社の宮司さんがやってきて執り行っているという。世話人は千住東二丁目町会である。祭礼のあとは町会開館で直会を行っている。