葛西囃子の一派で、柳原一・二丁目に伝承されている。葛西囃子は、葛西神社(葛飾区東金町六丁目一〇-五)の神主能勢環が享保期(一七一六~三五)に神社に伝わる神楽を崩した「和歌はやし」を村内の若者に習得させ、祭礼などに演奏させたのが起源である。この葛西囃子がもととなって江戸市内に種々の流派が生まれた。
柳原箕輪囃子が始められた時期は、伝承経路、文献、口承がないので不詳である。柳原稲荷神社境内にある「柳原箕輪囃子之碑」には、古老の言い伝えによれば、元禄期(一六八八~一七〇四)に旗本御家人によって伝授されたと記されている。また、明治天皇が京都から江戸に遷幸のおり、品川宿で歓迎の囃子を演奏しに行ったという。
一九九四(平成六)年に建てられた「柳原箕輪囃子之碑」の表には囃子連のメンバー二八名の名前と、箕輪囃子連合会の団体名(向島隅田箕輪囃子保存会・芝浜箕輪囃子保存会・千住曙箕輪囃子桜会・世田谷上祖師谷囃子連)が記されている。他の地域の囃子連と協力したり、相互に技能の向上や継承に努めていることがうかがえる。
現在、囃子連のメンバーは三〇名を越えている。小学生を含めた若手の練習は週一回。一日・一五日には、神社の拝殿で奉納演奏を行っている。さらに、リーダー達は、良い演奏を求めて他区の演奏会にも積極的に足を伸ばしている。また、保存会が組織され、柳原の四町会の役員がこれにあたっている。