旧道と呼ばれるかつての日光道中は梅田一丁目二六番の善立寺の南西角の川田橋交差点から北上して梅島駅前を抜けて環七通りにいたり、島根鷲神社の東方(島根鷲神社前交差点)を過ぎて竹の塚の増田橋に抜けていく。現在は環七通りの島根町交差点以北が都道(吉場安行東京線・都道番号一〇三)、以南が区道となっている。
この道は江戸時代に幕府道中奉行が直轄した重要道路は五街道と呼ばれ、一六二四(寛永元)年の日光山造営事業の一環として整備された。北へ向かう主要道の一つで多くの旅人が行き交った道である。一六八九(元禄二)年の松尾芭蕉が「おくの細道」で歩んだことに代表されるように、東北・北関東と江戸間を歩いた人びとの紀行文も多い。