この文書については、『風土記』では、島根村(足立区)と高鼻村(大宮市)の両方で触れられている。実際に島根村は、足立郡植田谷領にも実在した村である(現大宮市島根・昭和付近)。しかし、『風土記』では、この文書中の「嶋根村」を渕江領としているが、その根拠は明示してはいない。
大宮市側の見解では、①「足利義持寄進状写」の宛所は、大宮氷川神社であるから、そこから近距離にある植田谷領島根村とするのが妥当とし、②現在の大宮市の島根には、氷川神社が勧請されているので、大宮市島根が大宮氷川神社の社領だったとする。
しかし、①のように、近距離にあることを理由とする見解は早急であり、重要なことは、それぞれの島根村の歴史的変遷を検討することである。渕江領島根村も、中世のころから開発されていた数少ない村落であり、また、旧足立郡内には数多く氷川社が勧請されているが、②に従えば、それらは全て大宮氷川神社の社領になってしまう。これらのことから、「嶋根村」が足立区でも不自然ではない。