①〔六日 上段〕
千葉介自胤 明応二癸丑十二月
武州三間田ニテ
②〔八日 下段〕
東嶋根ムスメソヤニテ
妙鏡尼
③〔一一日 下段〕
妙信尼 丙寅五月
シマ子内東
④〔一三日 下段〕
蓮正尼 丙寅四月
シマ子母
⑤〔一八日 下段〕
妙行 コチヤニテ
トウ六父
⑥〔二五日 下段〕
慶法院日妙 明暦第三丁酉四月足立ニテ
佐久間文洲息女也施河内弥左衛門
妹施□(入カ)
⑦〔二六日 中段〕
通円位 丁丑七月
東シマ子
⑧〔二七日 下段〕
妙泉尼 山臥福泉坊子也
三月ムサシコチヤニテ
「過去帳」は日繰り式で、一日から晦日までに区切られ、それぞれの没日に記されている。ここでは、足立区内に関係すると思われる人物のみを抽出した。
①は、戦国期に足立区域に勢力を伸ばした武蔵千葉氏の一族、千葉自胤(これたね)のことである。一四九三(明応二)年一二月に三間田で没したことが記されている。「三間田」は現在の千住曙町付近で、このあたりに千葉氏の居館があったことを想定させる記述である。「過去帳」の上・中・下段の三段階の記載は、各人の地位・身分を反映していると思われるが、武将であるだけあって上段に記されている。
あとの記載は、大きく二つに分類できる。②③④⑦には、それぞれ「東嶋根」「シマ子(ね)内東」「シマ子母」「東シマ子」と地名が注記されている。これは「島根」を指し、⑤⑧の「コチヤ」「ムサシコチヤ」は「古千谷」を指すと考えられている。⑥のみ「足立」という広域地名で、江戸時代の一六五七(明暦三)年の記述であるが、概して「過去帳」に記された足立区内の地名は、島根と古千谷に限られる。