【資料9】大過去帳(本土寺所蔵、『千葉県史料』中世篇)

35 ~ 35

 ①〔六日 上段〕

 千葉介自胤 明応二癸丑十二月

       武州三間田ニテ

 ②〔八日 下段〕

  東嶋根ムスメソヤニテ

 妙鏡尼

 ③〔一一日 下段〕

 妙信尼 丙寅五月

     シマ子内東

 ④〔一三日 下段〕

 蓮正尼 丙寅四月

     シマ子母

 ⑤〔一八日 下段〕

 妙行 コチヤニテ

    トウ六父

 ⑥〔二五日 下段〕

 慶法院日妙 明暦第三丁酉四月足立ニテ

       佐久間文洲息女也施河内弥左衛門

                   妹施□(入カ)

 ⑦〔二六日 中段〕

 通円位 丁丑七月

     東シマ子

 ⑧〔二七日 下段〕

 妙泉尼 山臥福泉坊子也

     三月ムサシコチヤニテ

「過去帳」は日繰り式で、一日から晦日までに区切られ、それぞれの没日に記されている。ここでは、足立区内に関係すると思われる人物のみを抽出した。

 ①は、戦国期に足立区域に勢力を伸ばした武蔵千葉氏の一族、千葉自胤(これたね)のことである。一四九三(明応二)年一二月に三間田で没したことが記されている。「三間田」は現在の千住曙町付近で、このあたりに千葉氏の居館があったことを想定させる記述である。「過去帳」の上・中・下段の三段階の記載は、各人の地位・身分を反映していると思われるが、武将であるだけあって上段に記されている。

 あとの記載は、大きく二つに分類できる。②③④⑦には、それぞれ「東嶋根」「シマ子(ね)内東」「シマ子母」「東シマ子」と地名が注記されている。これは「島根」を指し、⑤⑧の「コチヤ」「ムサシコチヤ」は「古千谷」を指すと考えられている。⑥のみ「足立」という広域地名で、江戸時代の一六五七(明暦三)年の記述であるが、概して「過去帳」に記された足立区内の地名は、島根と古千谷に限られる。


本土寺の「大過去帳」(本土寺所蔵)
八日 下段の「妙鏡尼」のところに「東嶋根…」とある


二十六日 中段の「道円位」のところに「東シマ子」とある