本地区は徳川氏(幕府)の直轄領で、江戸時代の前半に島根の一部が旗本領となっていたことを除いて明治維新に至る。
支配にあたったのは江戸時代初めから一七九二(寛政四)年まで幕府の代官で関東郡代とも称された伊奈忠次・忠治の親子とその子孫たちで、世襲によって代官職を継承していた。伊奈氏は赤山(川口市赤山)と小菅(葛飾区小菅)に陣屋をおき、周辺の新田開発や河川改修など幕領経営を行っていた。本地区に近い竹塚村増田橋から赤山陣屋までは赤山街道があり、宿駅制がしかれ人馬による継送りが行われていた。その後伊奈氏が一七九二年に改易され失脚すると江戸廻り代官の支配となり明治まで続く。