市制町村制施行前の在来町村の合併
案は、一八八八(明治二一)年一〇月二三日東京府から戸長宛に諮問された。東京府の当初の案は「梅田村」とされ梅田村、島根村、小右衛門新田の三か村で一村としたものであった。一〇月三〇日戸長役場から各町村会へ諮問があり、修正されて三か村に栗原村を加え「梅島村」とすることに決定し、東京府もこれを認め一二月二一日知事裁定された。翌八九(明治二二)年一月内務大臣に上申し、四月一一日東京府令第二五号によって公布された。南足立郡の他の一町七か村とともに梅島村は成立し、五月一日から施行された。しかし町村制は一九三二(昭和七)年に東京市に編入するまで続いた。
この町村合併についての資料があるので、ここに揚げた。
このように明治の前半は様々な制度改正に伴って、めまぐるしく変化したが、このように一八八九(明治二二)年五月に南足立郡内の諸村は市制町村制の施行されたことに伴って新しく一〇の町村に編成され、当地区は島根村・栗原村・梅田村・小右衛門新田の四か村が合併して、梅島村が成立した。
この梅島という名称は合併した四か村のうち比較的規模が大きかった梅田村と島根村の頭文字を一字ずつ冠して造られた名称だったということが次頁資料から判明する。その後、梅島という名称は、一九二四(大正一三)年一〇月に開業した東武鉄道の梅島駅の名称にも利用され知名度は広がっていくこととなった。
こうして梅島村が成立すると同時に、それまでの村はいずれも梅島村管下の大字となった。島根村は南足立郡梅島村大字島根といった具合である。これと連動して、またかつての村内の字は小字となった。