道路の建設と町

57 ~ 58

旧日光街道の梅島三丁目交差点から東に向かう道路、すなわち元小右衛門新田の中心部を抜ける府県道二〇二号王子新宿線は、一九三三(昭和八)年八月改修整備が終わり、道海道を横断して綾瀬川まで達した。

 また三一(昭和六)年から工事を開始した日光街道(国道四号)は三四(昭和九)年三月、千住八千代町から埼玉県界水神橋まで完成。このため国道四号の路線は新国道(通称:日光街道)に変更され、従来の陸羽街道経由の路線は廃止され、旧道と呼ばれるようになった。

 新設された国道の東西に大きく広がっていた島根町と、この中に飛び地の状態で点在していた栗原町の区域は、日光街道の東側側線で二分され、「東島根町」「東栗原町」と改称し、同年四月一日より新たに発足した。この年の人口は急速に延び、梅田町一万一二八六人、栗原町二四〇八人、島根町一七九五人、小右衛門町六六二人、東栗原町三四四人、東島根町二四五人と旧梅島町だけでも一万六七四〇人と増加し、更に千住八千代町一五五三人、千住若松町一九五人、千住弥生町一人、千住栄町五人となっている。


1932(昭和7)年8月新区内町界町名変更案原図
 市郡併合で新しい町区域と町名を検討していた段階の作業図で、東京市役所が作成した。
 掲載部分は梅島町役場から西新井駅付近。この段階では「梅島梅田町」といった当時の大字名に梅島の名前を冠した町名の案が出されているが、10月1日の施行段階では、大字名を基本に町名が命名された。
郷土博物館蔵