農業から商工業へ

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関東大震災後に始まった急速な人口増加は、本地区の様子を大きく変え始めた。産業面で見ると農業を「村是」とて農業立村を目指していた時代から商工業者の多い町へと変化が始まっていた。

 一九二九(昭和四)年五月第二次の地域指定があり、荒川放水路北岸の千住町、梅島町の街道沿いの地域は、商業地域に指定された。この翌年には早くも島根の街道沿いに島根商栄会という商店会が発足している。この頃の様子について三六(昭和一一)年に書かれた梅島で信用組合を設立する人びとの「設立理由書」に、当時の本地区のなりわいの変遷を物語る次の文章がある(抜粋)。

 昭和三年十月一日、梅島村ハ町制ヲ施行シテ梅島町トナル。爾来、東京市、都市ノ発展ニ基キ年ト共ニ人口増加ヲ来シ、以前ノ農業者ハ漸次商工業又ハ之レ等兼業者ト転職シ、益々中小産業ノ増長発展ノ現況トナルニ至レリ。

(『成和信用金庫五十年史』一九八七年、所収)

文中にあるように農業から商工業への転換が、本地区ではじまっている様子が物語られている。なおこの信用組合は栗原、島根、小右衛門、梅田の人びとによって設立されていく。