石塚

77 ~ 78

室町時代の応永四(一三九七)年には、現在の栗原あたりは、「渕江郷石塚村」とよばれていた(「黄梅院文書」)。江戸時代に入って、「栗原村」が成立した後も、「石塚」の地名は使われていた。島根小学校前の猿仏塚にある江戸時代前期の一六八一(延宝八)年の庚申塔の銘文には、「渕江石塚村」とある。また、一八二二(文政五)年に作成された『風土記』(足立郡)にも栗原村の一集落として「石塚厨子」が記されている。この「石塚」という地名は、江戸時代の行政的村名としての「栗原村」に対して、いわば地域の私称として、使われつづけていた(本節「栗原の生活組織」参照)。


1681(延宝8)年の庚申塔に彫られている「渕江石塚村」(栗原1丁目猿仏塚)


今も公園名として使われる「石塚」地名(石塚公園)