栗原村の郷蔵

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 清水平次郎さんによれば、江戸時代、満願寺の裏手に栗原村で収穫された米などを保管する郷蔵があったということを伝え聞いていたという。


江戸時代の郷蔵(葛飾区立堀切小学校校庭)

 この郷蔵とは、江戸時代に村むらに建てられていた年貢米の保管や飢饉、災害に対応するための備蓄倉庫で、名主などの村役人が管理していた。

 江戸時代に、栗原村の名主を行っていた水野喜一郎さんの家には、江戸時代には先祖が、「郷蔵奉行」という役職にもついていたという言い伝えが残されている。当時、郷蔵を管理していたことを伝えているものであろう。

 清水平次郎さんによれば、明治維新後、郷蔵は、解体されて、栗原氷川神社の境内に移築されたと聞いているという。昭和初期には社務所として使われていたというが、一九四〇、四一(昭和一五、一六)年ころには取り壊されたという。