三ズシ共同の活動

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三ズシは、それぞれにまとまりをもっていたため、時には競合することもあった。一方、江戸時代以来、「栗原村」としてのまとまりも持ち、村の鎮守として栗原氷川神社を共に祭ってきた。また、古峰講といった講活動を行っていた。

 三ズシは、一八八九(明治二二)年の町村合併で、梅島村大字栗原となった。その後も、栗原を単位とした行政事務などを共同遂行する上でも基礎単位として機能していた。

 例えば、旧栗原村域で結成していた梅島村第二消防組の器具や火の見梯子(はしご)の費用を、一九二五(大正一四)年、「前栗原」(=満願寺)「後栗原」「石塚」の三ズシが、「日清紡績会社」とともにズシを単位に寄付をしている(荒堀市郎家所蔵文書、「二 史跡と文化 栗原火の見梯子」参照)。

 また、旧栗原村域では戦前、満願寺・石塚・後栗原の三ズシをそのまま基盤に置く一方で、新しく転入してきた人たちといっしょに、旧栗原村域に栗原大成町会栗原実行会という自治組織が作られたといわれている(「旧栗原の今昔」『栗原町会名簿』・荒堀市郎さん談)。