温室栽培

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石塚ズシの清水平次郎さんの家では、明治時代に食用菊栽培を始めていた。その後、松戸の園芸学校を卒業した清水(平)さんの父は、一九三〇、三一(昭和五、六)年ころまで、ガラスの温室の中でユリやシクラメンなどの花卉栽培やメロン栽培をやっていたという。メロンは、都心の三越と契約栽培をしており、市場を通さず、直納していたという。

 また、満願寺ズシの水野喜一郎さんの家では、昭和初期、水野さんの叔父の水野三郎が、やはり園芸学校を卒業した後、兄水野秀治の屋敷内に温室を建て、フリージアなどの花卉栽培をはじめ、百合根、メロンを作っていた。一九四四(昭和一九)年ころまで、こうした温室栽培を行っていたという。

 後栗原ズシの荒堀市郎さんの家では戦時中から、野菜を中心につくってはいたが、ガラス障子の温室を建て、チューリップ・ユリなどの花卉栽培を行ない、戦後も昭和二十年代半ばころまで、花卉栽培をつづけていたという。

 当時、チューリップの球根は、室で保存し、一〇~一一月ころにガラス温室内に植える、半促成栽培がすでに行われていたという。

 出荷は、駕籠に花を立てて、それを背負い、自転車で九段の靖国神社の裏にあった花屋に直接納めに行ったという。

 栗原では一般的には、昭和二十年代後半以降、主にツマモノ栽培において一般的に温室栽培が行われるようになる。例えば、清水家、水野家で行われた温室栽培は、それぞれの家の子弟が園芸学校で学んだ最先端の温室栽培方法を生かしたものと思われる。まだ一般には温室栽培の技術があまり広まっていなかった。その上、戦前にあっては、ガラスの温室は一棟に家一軒建てるほどの多額の金額がかかったといわれる。

 清水家や水野家、荒堀家のようなメロンや花など東京都心部の人びとの嗜好、需要に答えようとしている点で、栗原農業における山東菜づくりや、後に主流となるツマモノ栽培にも相通じるものがある。