戦後

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戦後の混乱期には境内が荒廃したが、一九四八(昭和二三)年には、氏子地域の各部から改めて氏子総代を改選し、その中から総代長も決め、氏子から寄付を募り、神社の復興がはかられていった。まず、一九五三(昭和二八)年に狛犬が造られたが、その他はなかなか進展しなかった。そんな中でも土地の寄付があり、境内敷地も整備されていった。また環七通り、尾竹橋通りに社有地が買収されてできた財源をもとに、七三(昭和四八)年に社務所・神楽殿を整備した。また、ちょうどそのころ、栗原で施行されていた区画整理をきっかけに、七二~七三(昭和四七~四八)年にかけて玉垣を建設し、稲荷神社も新築された。

 その後も、九三(平成五)年には本殿の上屋改修、拝殿屋根の葺き替えを行うなど、たびたび整備されてきている。これら、整備のおりに建てられた記念碑が、境内には数多く残されている。それらの記念碑は、整備された神社境内とともに、栗原の町の発展過程を象徴的にあらわすものともいえよう。