源氏伝説と奥州古道・石塚ズシの地名由来

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 平安時代中期の一〇五一(永承六)年から六二(康平五)年に奥州北部で、安部頼時・貞任が、前九年の役と称される反乱を起こした。これを鎮めるために、源頼義が陸奥守・鎮守府将軍として、奥州に向かった。その奥州東征のおり、かつて「石塚」とよばれていたという、今、栗原氷川神社が建っている小高い土地で、天喜年間(一〇五三~五八)に源頼義が、休息したという伝説がある。

 また、清水平次郎さんが子供のころ、祖父や祖母からよく聞いた伝説は、一一八九(文治五)年、源頼朝が奥州平泉の藤原泰衡を討ちに行く途中、軍勢をこの地に止め、今の栗原氷川神社のある地に石塚を築き、塚上に厨子を建立し、八幡大菩薩を祀り、戦勝を祈願したというものである。また、源頼朝が石塚を築き、厨子を建立したことから、今の栗原氷川神社周辺を「石塚厨子」(ズシ)というようになったという(清水平次郎氏宅「古代奥州街道の歴史」記念碑)。

 こうした源頼義をはじめ、その子、八幡太郎義家や、新羅三郎義光、また、頼朝の伝説は足立区内に多いが、これらの源氏伝説は、古代から奥州へ通じる道が足立区内を通っていたという伝承とともに語られている。その伝説地沿いには、古奥州街道と言い伝えられてきた古道が通っていることが多い。栗原の源頼義や源頼朝伝説地である栗原氷川神社の東側の栗原と島根の境を南北に走る道も、奥州街道の古道であり、源頼朝が軍勢を率いて往来したという言い伝えがある。


奥州古道と伝えられる道 栗原2丁目25あたり(2001<平成13>年撮影)