一八七八(明治一一)年を迎えると南足立郡が設けられ島根村も周辺諸村と同じく同郡に編入となった。また村々の副戸長は戸長となった。この時期に該当する一八七九(明治一二)年に東京府へ提出された文書には「戸長牛込金三」という署名が見られ、前代に引き続いて牛込家が戸長に就任していたことがうかがえる(「真言宗明細簿」、東京都公文書館蔵、『寺院明細』所収)。
さらに一八八四(明治一七)年には、村々の財政基盤を強化するため村ごとに連合するという連合戸長制度が実施された。この時期の島根村は隣村を飛び越えて竹塚村と連合し、「島根村外壱ヶ村戸長役場」と称するようになった(『渡辺府知事管内巡回記』、東京都、一九六五年)。