赤羽家には今ひとつ重要な資料が伝来している。一七二一(享保六)年の鷹番廃止に関する高札である。この高札は赤羽家の母屋東方にある築山の四阿(あずまや)に保存されていた。
高札の大きさは最長部三八五mm、全幅六七七mm、厚さ二八mm。表面の墨書は褪色しているものの墨のコーティング効果によって墨書部分がレリーフのように浮き出した状態となっており文面の解読も可能な状態である。墨書は表面のみで裏面に記載はない。
高札の文面は次の通りである。
定
鷹番の儀、自今あい止め申し候。しかる上は、村中の者共、いよいよ常々油断無く心を付け、うたかわしき者これ有れば、きっとこれをあい改むるべし。もしこれ以後鳥を取り候ものこれ有る時あい改めず候わば、その村の名主はいうにおよばず、村中の者まで越度(落ち度)たるへし。その上、またまた鷹番申し付くべきものなり。
享保六年七月
この文面は鷹場の管理制度の内、幕府から派遣される鷹番を廃止するが、その代わりに村の人びと(ここでは島根村の人びと)が管理するよう定めた高札である。文面にあるとおり、鷹場管理を幕府から任された村では、鷹狩の際に捕獲される対象となる鳥獣の保護が義務づけられ、もし不徹底だったら名主から一般の村人まで譴責されると言う厳しい内容である。ここ島根村は将軍家の鷹場であり、御膳所国土安穏寺があり鷹場に関する管理は重要であったことを考えると、本資料は当時の村の生活と鷹場制度を物語る重要な資料である。
この高札は国土安穏寺南方にあった高札場に掲げられていたと考えるのが妥当であろう(高札場については別項参照)。