灌漑用水の不足があったことは、江戸時代の島根村の項で述べたところであるが、これを裏付けるような話が鷲神社の年番に関連して伝わっている。おしめり正月という風習で、水不足の時、待望の雨が降ると、年番から休日の連絡が行われた。「島根史談」(前掲)では「正に慈雨此々に在りと云うことであった」と触れている。神社の年番を勤めた厨子の人びとが農業経営面でも調整役を務めていたことを今に伝える話である。
おしめり正月
灌漑用水の不足があったことは、江戸時代の島根村の項で述べたところであるが、これを裏付けるような話が鷲神社の年番に関連して伝わっている。おしめり正月という風習で、水不足の時、待望の雨が降ると、年番から休日の連絡が行われた。「島根史談」(前掲)では「正に慈雨此々に在りと云うことであった」と触れている。神社の年番を勤めた厨子の人びとが農業経営面でも調整役を務めていたことを今に伝える話である。