そして二年後の一六四八(慶安元)年九月には次のような朱印状が交付された。朱印状の交付とは、すなわち当寺が領主となったことを表す一つの格式を示すものである。
その朱印状の原文は次のように記載されている。
武蔵国足立郡嶋根村
国土安穏寺領、同村之内五石事、
任先規寄附之訖、全可収納、并寺中門前竹木諸役等免除、如有来弥不可為相違者也、
慶安元年九月十七日
(家光朱印)
文中にある「任先規」(先規に任せ)という文言は、一六〇七(慶長一二)年の伊奈忠次による御墨付のことと、家光の約定を指しているのであろうか。すでにこの朱印状の発給以前に、実際の寺領の寄進が了解されていた経緯が、文中の「任先規」という文言の意味するところであろう。
こうして朱印状を将軍家から獲得した当寺は、以後、歴代の将軍から代替わり安堵として朱印状を連綿と交付され明治を迎えることとなった。