徳川家の正史である『徳川実紀』(国史大系)に歴代将軍の鷹場への御成のようすが記述され、島根周辺については一六三一(寛永八)年二月二三日に、当時将軍職を退き大御所となっていた徳川秀忠の来訪記事がある。
○廿三日 大御所岩淵に御放鷹あり。島根に於て鳥銃にて鴻三。雁三打とらせ給ふ。
(「大猷院殿御実紀巻十七」)
この記述によれば大御所秀忠は島根周辺で狩を催し、鴻(おおとり)と雁を射撃で得たことが判る。この鷹狩は足立区内で秀忠が狩りを催した記事としては、二番目となる。
しかし、この時代の『徳川実紀』の記述は一部が掲載されているだけなので、実際には他にも来訪していた可能性が高い。
この島根での狩りの記事を裏付けるように『風土記』には「元和年中。徳廟(台徳院=徳川秀忠)当寺ヘ成セラレ」との記載がある。
つまり『徳川実紀』の記載のみでは寛永年間になって島根への来訪が登場するが、『風土記』記述を勘案すれば、徳川秀忠は元和年間(一六一五~二四年)には当寺および島根周辺に狩に訪れていたと考えるのが妥当であろう。