水争いの記憶

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 こうした水争いの記憶は近年まで引き継がれていた。『梅島』(一九八八年)に青井六丁目の平田藤次郎さんが「ここは水の騒動があって、上と下で分かれて、とび口などを持って、よくにらみ合っていた所です。樋を置けばはずす。土のうを積めばくずす。水の取り入れ口を切ったり切られたりで、だいたい勝負なしでした。」と水にまつわる記憶を語っている。

 また梅島二丁目の渡辺正さんも今回の調査の中で体験談を披露され、「小右衛門から今の区役所のある方は深い田んぼが広がっていたが、用水は上流と下流で水の取り合いになったことがあった。途中で仕切って先に自分の田んぼに水を引こうとする人がいて難しいことになったこともあった」と、水に苦労した時代を振り返った。

 ここで見たように見沼代用水の最末流部で、しかも平坦な地勢にあった小右衛門新田は、周辺の村々との協議によって水を確保し、場合によっては争論に及ぶという農業環境にあったのである。巻畔を切り崩した若者たちの思いは、そうした本地区の風土を背景なしには考えられないのである。