本文書の末尾に小右衛門新田の村役人が連印している。構成は名主・年寄・百姓代という構成である。一般に村方三役(地方三役)として名主・組頭・百姓代という構成が知られているが、ここでは、組頭に変わって年寄という役職となっている。これは足立区周辺では一般的な傾向であり、小右衛門新田も同様の構成であったことが確認できる。
さて名主をつとめる小右衛門であるが、本新田の草切りであった渡辺小右衛門の一族であろう。名主をつとめる小右衛門の名は、一八六一(万延二)年二月の毛長堀堰枠一件争論文書(足立区花畑・千ヶ崎家文書。郷土博物館複写収集資料)にも登場し、名主をつとめていたことが確認できるが、他の名前を持つ名主も登場しており必ずしも世襲ではなかった可能性がある。