第十中学校(梅島三丁目二三-三)

211 ~ 212

 四七(昭和二二)年四月一九日開校。戦後の物資不足財政難の中、校舎建設が進まず、とりあえず梅島第一小学校校舎西側一棟を借りての発足だった。生徒数は二九名、教職員数五名。新制中学校の発足で第一中学校から第十四中学校までが一斉に開校した。校庭も小中学校二校が分け合って使った。

 第十中学校では、開校後すぐの五月一〇日に、なでしこの花を校章に決めた。「つつましく、やさしく、愛をこめて、きりっと咲くなでしこの花のように」がその心だ。初めは椅子も机もなく、生徒が箱を持ってきて机にし、教室の床にじかに座り、授業を受けた。この中にあって、「未来にこそ希望を」との思いがこめられていた。足立区の人口が二一万九〇〇〇人の時代である。開校二年後の四九(昭和二四)年四月二八日校舎落成式。大正新道に沿った現在の土地に建った。六月四日に校歌制定。校庭は、トラックが運んできた土で中学生が田んぼを埋めて造った。大変な労働であったが、自分の学校を造る喜びで、汗も日焼けもいとわなかったと言う。落成したばかりの八月三一日のキティ台風で屋根がとび、雨漏りなどに悩む中でも、勉強に熱中した。

 その後、五九(昭和三四)年に分校を設立し、翌年に東島根中学校として独立した。さらに八七(昭和六二)年にも六月中学校として独立した。九〇(平成二)年には校内に情緒障害学級の設置などもあった。生徒の変化のほか紆余曲折があったが、創立五十周年を機にして、大きく飛躍している。

 ボランティア活動や生徒会活動・JRC活動など、いい学校にしよう、大きく発展させようという意気込みでの実践が認められ、東京都教育委員会から表彰を受けた。また、学校内での英語検定や漢字検定も受けることができ、大勢の生徒が合格している。

 足立区水泳大会でも、平泳ぎ女子で大会新記録で優勝し、砲丸投げでは東京都優勝と意気盛んだ。また、英語劇も足立区で優勝した。東京都中学生吹奏楽コンクールで、銅賞、銀賞を獲得した。

 この生徒の様々な活躍の陰には、親たちの大きな支援があった。その一つが、学校の環境整備、生徒と教職員の協働にあった。玄関のステンドグラスのアーチ、各廊下の壁に絵を掛けるなど美しい校舎にした。壁のペンキ塗り、菊を作り見事に咲いた厚物の菊の大輪は玄関に飾った。また近隣の小中学校と連携して学力向上の研究を推進した。また、校内に地域ギャラリーを開き、近隣の幼稚園や小学校、地域の人びとの作品など、いつでも参観できるように展示した。卒業生の親も、PTAと協力し、おやじの会をつくり、大会の応援やビーチボールバレー教室開催、コンピュータ教室開催、朝の挨拶で校門に立つ、生徒の悩み相談にも、協力を惜しまない。今、十中に、親・地域からの信頼が寄せられている。


第十中学校