二百年近く前、この地に移住したという山田家の話が伝わっている。現在、女性総合センターがある周辺にあった旧家であった。山田家は、村の鎮守の氏子になろうと、はじめ梅田の社を尋ねた。一軒ではどうしようもないと断わられた。そこで離れてはいるが島根の鷲神社にお願いに行った。そこで氏子にしてもらうことができた。そんな訳で、それからというもの、鷲神社の神輿の行列は、梅島駅を越え梅田側まで回ったという。村の人びとは村の鎮守鷲神社を中心に結束していた。交通渋滞もあって、梅島駅の手前で島根側に折り返すようになったのは、つい先ごろからだそうだ。
一九三一(昭和六)年生れの山田家の長男一良が戦地に赴くに当たって、梅島小学校の同級生五人とともに、鷲神社にお参りをした。そのお陰なのか、五人とも生還できた。シベリアの抑留から戻った榎本義憲さん、激戦のインパール作戦から帰還した山田一良さんたち五人は、生きて帰れたことを互いに喜び合ったと言う。このことから今でも鷲神社へは折に触れ参拝していると語っている。