庚申待

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庚申講ともいい、男性のみの習慣である。一ツ家稲荷神社には一六九三(元禄六)年の庚申塔が、平野神社には一七二〇(享保五)年をはじめとした三基の庚申塔が見られるように、元禄・享保の昔より行われてきた。一ツ家では戦前に途絶えてしまったが、平野では近年まで続いていた。

 庚申待は中国古来の道教の思想に由来するもので、六〇日(約二か月)に一度めぐってくる庚申の日の晩には、体内に棲む三尸(さんし)の虫が、人体を抜け出し、その人の罪科を上帝に告げ、寿命を縮めると言われている。それを防ぐために、夜通し起きて酒食をともにする行事である。数十年前では、さすがに徹夜ということはなく、日付が変わる一二時過ぎまでであったという。

 庚申待は、一年に六回ほど行われることになるが、平野では、夏の農繁期にはやっていられないということで、春・秋に三回ずつ行っていた。次第に参加者も減ってきたため、九七(平成九)年を最後に中断した。このころは一〇時には終わり、宿が出す夜食を食べて解散した。庚申待で使われていた青面金剛の掛け軸は、大切に保管されている。


享保5年(1720)と安永4年(1775)の庚申塔(平野神社)


元禄6(1693)年の庚申塔
(一ツ家稲荷神社)

一ツ家・平野では古くから庚申講が行われていた

 ほかにも、大山講や富士講なども盛んに行われていたと、多くの人たちが語っている。