明治後期

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 次の地図は、一九〇六~〇九(明治三九~四二)年にかけて、参謀本部陸地測量部によって作られた地図である。明治初期と比べて大きな変化はないが、北部は後の府県道二〇二号王子新宿線に家屋が集まっているようすがはっきり表されている。先の迅速測図と比べて精度が高く、道のようすなどはより正確なものといえる。下妻道・道海道、平野へ行く道、府県道二〇二号などは「里道」とされていた。南部の田んぼの合間をぬっている点線の道は「小径」である。田んぼの中にいくらかの畑地も見える(点線で囲った場所)。


明治42年「王子」「千住」

 地図上には田んぼの中に、濶葉(かつよう)(広葉)樹木の記号が二〇か所余り見られる。これらは田んぼの地境に植えられたトネリコやハンノキなどの木々だと思われる。

 この後、まもなく荒川放水路開削工事が始まり、南部の耕地は千住と分断されることになる。