清掃事業の今昔

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昭和三十年代前半までは、ごみ収集は大八車で行っていた。地下足袋を履き、ゲートルに前掛け姿の作業員が、鈴を鳴らす音が聞こえると、主婦がごみを渡しに来る光景がよく見られた。大八車で収集したごみは、大型ダンプに積み替えられてから、八号地や夢の島に運搬された。次第に都内では自動車収集に変わりはじめ、足立区で自動車収集が始まったのは六二(昭和三七)年ごろである。また下水道が普及していない時代は、し尿処理も重要な業務であった。

 六四(昭和三九)年、足立区(西保木間)と葛飾区(水元)に清掃工場が完成したことにより、可燃ごみは両工場に運ばれるようになった。折しも東京オリンピックの年で、このころからごみ収集量が増加し、それに伴い職員数も増えた。

 近年では分別収集が進んでいるが、足立区の資源ごみ収集はモデル地区になったため早く、一〇年以上前から行っている。現在、ごみの集積所は足立東管内で約八六〇〇か所ある。今後は地域の特性にあったごみ収集が課題で、地域の人の流れや産業の特性などを考慮しつつ、収集車の大小や、朝昼夜別のごみ収集などの検討が考えられている。