西新井栄町は、一九七三(昭和四八)年五月一日の新住居表示によって成立した。
「西新井栄町」の町名は、東に西新井駅を抱え、西は、西新井大師の近くまで町域が広がっていたことから、「これからは社会生活上、西新井を称えたほうが便利であり、この地区の今後の繁栄、発展を願う意味もこめて「西新井栄町」」と名付けたという(『足立区 町名のうつりかわり』)。
この町域は、もともとは、江戸時代に成立した栗原村と興野村、本木村、梅田村のそれぞれの一部から成り立っている。
一九三〇(昭和五)年四月調査の『梅島町全図』によれば、当町域の北部域には、旧栗原村南部にあった梅田井堀南耕地・鉦打耕地が広がっていた。
南部域は、旧興野村栗原前耕地、旧本木村の亀田四番耕地の一部、旧梅田村の亀田耕地にあたる。
それぞれの旧村の耕地は、明治の合併村時代は、梅島村(後に梅島町)大字栗原、梅田、西新井村大字興野、本木となっていたが、三二(昭和七)年に足立区が成立し、それぞれ栗原町、梅田町、興野町、本木町二丁目となった。
このように、およそ町の北半分が旧栗原村域であったが、四か町のそれぞれ一部によって構成されていたため、現在の町名決定には難航したといわれている(『町名のうつりかわり』)。