西新井栄町域の北部は、江戸時代の栗原村域にあたる。江戸時代後期には、満願寺ズシとよばれる集落内の日常生活の共同組織があったようだ(『風土記』)。
一九〇九(明治四二)年の地図には、現在の西新井栄町二・三丁目から栗原三丁目あたりの集落に「万願寺」(満願寺)とある。今でも、同地域には、満願寺ズシと称する家々のまとまりがある。
満願寺ズシは、地縁・血縁などを通して人びとがまとまりを持ち、近年まで、生活上の相互扶助や習俗をともにし、行事なども盛んに行ってきた。
栗原の項で述べたように、満願寺ズシではズシの人びとによって、かつて念仏講が行われ、また、満願寺囃子も行われていた(栗原「栗原の生活組織-ズシ-」参照)。