天正稲荷(西新井栄町三丁目八-八)

306 ~ 307

 中田留吉さん宅の屋敷神であるが、一般の人びとも参詣できるようになっている。中田さんの家は、先述のように、明治時代ころには、今の青年センターのすぐ北にみえる、西新井大師の大きな松の下でだんご屋を営みつつ、住居を構えていたが、この天正稲荷は、すでにそのころから敷地内にあったという。その後、祖父の代に、住居を移したのにともない、この天正稲荷もいっしょに現在地に移したという。なぜ「天正稲荷」というのかは不明だが、中田さんの先祖が、この稲荷を祭ったときから天正稲荷といっていたという。


天正稲荷

 神体は、青石とよばれる緑泥片岩でできた中世の板碑である。この板碑の表面には「□和二年□月□日」と刻まれ、また「年」の文字脇に「子」と刻まれている。肝心の元号部分が摩滅して読みとれないため、年代不明であるが、鎌倉~室町時代に作られたものであろう。


天正稲荷の神体となっている中世の板碑

 境内地が道路(旧大師道)に開かれているため、お参りに来る人も多いという。そうした参詣者から賽銭箱を寄贈してくれる人もあって、それを備えておいたところ、ある日、賽銭箱ごと盗まれてしまい、その後、もどってはこなかった。また、ある時、神体である板碑を誰かにもっていかれてしまうということもあったが、一か月ほどして、社殿の中をみてみると、またこの神体が、もどってきていたという。

 以前は、二月一日の初午の日には、近所の人びとが集まって飲食をともにしたりしていた。今では、集まりはなくなったが、油揚げと豆腐とお頭つきの魚は供えているという。普段の月には、一日と一五日に油揚げととうふを供えている。

 社殿は、一九九四(平成六)年二月に鳥居とともに建て替えられたものである。

 いろいろなエピソードを作りながら、地元の人びとに親しまれている神社である。