西新井駅の北西、環七通り沿いにある。主として足立区西部を所轄としている。一九三六(昭和一一)年一二月一〇日、千住警察署から分離し、木造二階建ての庁舎が現在地に開設された。開設当初は、荒川以北の足立区域を所轄とし、各所の派出所、駐在所を管轄した(『西新井警察署五十年史』)。
それまで、足立区全域は、千住警察署が管轄していたが、区域の人口は大正末期から急激に増加し、一九三五(昭和一〇)年には明治初年の約六倍、一七万四六一二人に達したため、西新井警察署は分離新設された(『千住警察署百年の歩み』)。
開設のころの地図(一九三七(昭和一二)年「西新井」測図)をみると、同警察署周辺では、まだまだ田畑が多いが、すぐ南方、西新井駅や日清紡績東京工場周辺では、以前の地図と比較しても宅地などが増え、市街地化が進んでいっている様子がうかがえる。
一九四五(昭和二〇)年四月一三日の空襲で西新井警察署は全焼した。このため、西新井大師総持寺の書院や大師門前の料理屋や梅島第一小学校に間借りして業務を行った(署長森田悦至さん談)。終戦後の一九四五(昭和二〇)年一二月二〇日、望楼付の木造二階建て庁舎が再建された。この庁舎も手狭になったため、一九五二(昭和二七)年ころ改築された。
区域の人口急増につれ、事件や交通事故なども増加したため、一九六一(昭和三六)年四月には、西新井警察署から綾瀬警察署が分離し設置された。これによって、区域荒川以北のおおよそ日光街道・東武線軌道の西側地域が西新井警察署の管轄となった。
その後も、管轄内における人口増加は著しく、事件、事故もさらに増え、事務量、署員も増えたため、一九七一(昭和四六)年二月、鉄筋四階建ての現庁舎が竣工された。一九七四(昭和四九)年一〇月に、綾瀬警察署との境界線の変更が行われ、環七通り以南、日光街道東部で管轄していた末広町などは綾瀬警察署管内に移譲した(『西新井警察署五十年史』)。
この間、一九四九(昭和二四)年七月には、下山国鉄総裁事件、一九六六(昭和四一)年五月二五日夜には、西新井大師出火事件なども西新井警察署管内で起きている。
また、古くから同署に勤務してこられた石崎茂さんは、次の事件も鮮明に記憶しているという。一九七四(昭和四九)年、江北橋の上流で、イルカが二頭捕まるという事件があった。始末に困って鴨川シーワールドへトラックで輸送したが、途中で一頭が死んでしまったという。
現在、森田悦至署長によれば、環七通りの交通過密のため、交通事故が頻繁にあるという。
西新井警察署管内の犯罪・交通事故件数は多いとよくいわれるが、所轄面積が、東京都区内で三番目の広さを持ち、人口も一〇番目という大規模な所轄範囲であることを考えると、東京都全体で見てもそれほど多くはない。署員の取り締まりが効果をあげているという。
最近の犯罪傾向について、侵入盗やひったくり増加が気になる。また少年による車上盗も目だっているという。現代社会の風潮がそのまま所轄管内にも及んでいるといえる。