明治期の梅田

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 『東京府志料』によると、一八七二(明治五)年ごろの梅田の状況は、戸数一四五戸、人口八四九人で、うち男三九三人、女四五六人である。農車一両と馬一匹であった。田面積五一町二反二畝二三歩、畑は二九町六反八畝五歩で、生産される農作物は米七四八石(三七四〇円)、大麦二五〇石(五〇〇円)であった。江戸時代に盛んであった紙漉きは明治も同様で、生産高は六〇万四八〇〇把(二万二八二二円六四銭三厘)でかなりの量が生産されていた。しかしその他目立った産物はなかった。

 一八八九(明治二二)年に町村制が施行されると、同村は梅島村大字梅田となった。