『風土記』に記載された梅田村の小名は、横町・長島耕地・中沼・亀田・水久田・郷ブ(府)・榎戸の七つであり、『東京府志料』に記載された小名も同様である。
『東京府村誌』には、梅田村内の地字は、小野羅・中沼・郷府・水久田・亀田・川田・榎戸・槐戸の八地字であるとしているが、実際はこの他長島耕地が存在した。村内は、「梅田村の中央にあり、東は小野羅、西は郷府に連り東西五町二十間、南北五町である。小野羅は村内の東より千住宿北組に連り、東西三町二十間、南北四町十間である。中沼は、小野羅の南より千住宿北組に連り東西四町二十間、南北三町二十間である。郷府は村内の西より本木村に連り、東西一町二十間、南北八町二十間である。水久田は長島の北より興野村に連り東西三町二四間、南北二町である。亀田は、長島の西北より本木、栗原二村に連り、東西二町四十間、南北一町三十間である。川田は、村内の南より千住宿北組に連り、東西一町四十間、南北三町である。榎戸は明王院の西南にあり千住宿北組、本木村に連り、東西二町三十間、南北一町十間である。槐戸は二所に分かれ、一つは中沼の北から千住宿北組内に入り、東西三町二十間、南北二町であり、もう一つは飛び地で千住宿北組と本木村との間にあって東西十七間、南北九間である」とあり、長島は、北は水久田、西は郷府、南は村内、東は小野羅に囲まれていた。