一九九九(平成一一)年一月、東京田辺製薬と三菱化学との合併の話が生まれ、一〇月一日に合併した。そのメリットは、三菱化学の開発力、田辺製薬の販売力が合体する事によって競争力を増すことにある。新薬の開発は、一五年かかるから、規模を大きくする必要があった。敷地面積は一万六五〇〇m2(約五〇〇〇坪)である。
一九〇一(明治三四)年、初代社長田辺元三郎氏が大阪から上京、現本社地に薬種問屋、田辺元三郎商店を開業、一九三八(昭和一三)年、足立区に梅田工場を建設。日本で初めてビタミンCを合成、アスコルチンの名で発売した。この薬は、兵隊のビタミンC不足を補うため、大いに役立った。この件については、皇太后の感謝状が残されている。一九四三(昭和一八)年社名を東京田辺製薬株式会社に改称した。五二(昭和二七)年、ビタミンB2の企業化に成功した。これは、黄色の着色料としても取引が多い。次いで五七(昭和三二)年、ウルデスオキシコール酸の工業化の成功、ウルソの名で発売した。これは肝臓機能増進の薬である。
立地条件としては、田畑ばかりで広い敷地が安く得られたこと、そして駅に近かったことだ。隣の現マンションは当時、島田軽金属KK,ペトリカメラ、アケボノブレーキ、小森印刷などの工場が立ちならんでいた。三階の窓から千住の方を見ると、新橋の上を歩いている人が見えた。
一九六三(昭和三八)年、三棟の建設の際、土盛りをして水害に備えた。戦争の被害はなかった。現在は約五〇人が働いているが、かつては、三〇〇人程度いた。その内女子が四分の三をしめていた。錠剤、アンプルの包装、ラベル張り、検査など機械化されていなかったので女子の集中力や、手先の器用さが必要だった。