同院境内の東側の木立の中に弥彦尊があり、「せきの弥彦さま」とよばれている。社殿は唐破風流造りであり、中には木像が安置されている。この小社の右手外の板張りに、中程の高さから、輪になったひもが二〇本ほど掛けられている。このひもは「おけさ」という。古くて汚れているものもあれば真新しいものもある。
梅田の人びとは、この小社を「せき不動」ともよんで信仰してきた。せきとは百日咳や喘息のことを指し、百日咳や喘息の子供たちの親はこの小社に願をかけた。かけてある「おけさ」のなかから、子供の首の周りの長さにあうものをいただき、子供の首にかけた。快癒した際には、お礼参りに、新しい「おけさ」を縫って、前にいただいた「おけさ」とともに、小社におかえしをした。
遊馬ナカさんは、「子供のころに喘息の発作が起きる度に、母親がせき不動さんにお参りをし、おけさをいただいてきてくれた。風呂に入るとき以外は、夜でも首に掛けて寝た。せきが治まると母と一緒に明王院にいって、せき不動にお礼参りしたのち、新しく縫ったおけさをかけてきた。明王院までの道は人家がなく鬱蒼(うっそう)とした木に囲まれ、恐ろしかったが、懸命に祈ったものだ」と語る。
これは、旱魃(かんばつ)と悪疫流行に対して降雨救病の効験がある新潟の弥彦神社から勧請したもので、江戸時代半ばから流行したのではないかと言われている。
一九五〇(昭和二五)年に赤不動が焼けた際に、弥彦尊も一部焼け、現赤不動建立の際に今の位置に移された。目がギョロッとしているので、弥彦のおばあさんと呼んだりした。一九九〇(平成二)年くらいまで、せき不動に参詣するひとは、八cmぐらいの和紙に九文字ほどの梵字(ぼんじ)が記してある護符、弥彦尊を木版で記したお守りと先に述べたおけさをいただいた。護符は、一文字ずつちぎって飲んだ。